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新選組史跡巡り

当店から歩いてすぐです

新選組好きに外せません

壬生寺

壬生寺

新選組の聖地ともいうべき場所で新選組隊士の墓があり、その中には芹沢鴨、平山五郎の墓があり、さらに近藤勇の像などがあります。壬生寺の境内で剣術の稽古や砲術等の兵法調練の場として使っていました。新選組一番隊隊長の沖田総司は、壬生寺で小さな子供たちと鬼ごっこやかくれんぼなどをして遊んでいたという逸話もあります。
壬生寺で演じられる壬生狂言、壬生六斎念仏踊りは重要無形民俗文化財にに指定されています。
 

八木邸

芹沢鴨暗殺の現場。今日の治安維持と徳川家茂上洛の警護を目的に 結成され上洛した浪士組の隊士らは、当時の壬生村の新徳寺や地蔵寺の八木屋敷や前川屋敷といった民家へ分宿していました。
新徳寺は清河をはじめとした幹部の本陣として使われ、八木屋敷には芹沢一派、前川屋敷には、近藤勇、土方歳三、沖田総司らが分宿していました。芹沢は、八木屋敷で愛人であったお梅とともに殺されましたが、平間重助は裸で逃亡し、東北の養蚕の指導員として生き延びました。この話は明治20年代に入って、偶然にも平間が記者で新聞記者と隣り合わせになったことから、新聞に掲載され世に知れ渡りました
 

光縁寺

前川邸屋敷で切腹した山南敬介は、仏教に帰依し光縁寺の住職と懇意であった為、同寺に葬られたとされています。また、光縁寺の過去帳には25名の名が記されており、山南のほか松原忠治など多くの隊士が眠っています。油小路の伊東甲太郎も、同じく光縁寺に葬られましたが、後に東泉涌寺の塔頭戒光寺に埋葬されました。
​また光縁寺にはこんな不思議な話があります。平成初めのある晩、旅人が新選組のはかのある寺を探しに四条大宮の交番を訪ねました。しかし、寺は見つからず仕方なく眠りについたところ、夢で何者かがここを示し、旅人は光縁寺を参拝することが出来たという事です。

角屋もてなしの文化美術館

​旧前川邸

新選組のもう一つの屯所であったのがこの旧前川邸です。隊士が増え西本願寺に屯所を移動する2年間をこの屯所でします。この旧前川邸で有名なエピソードといえば山南敬助が切腹でしょう。なぜ新選組の総長にまでなったにも関わらず脱走したのか、逃げ切ることはできなかったのか等、謎がつきません。前川邸というと、切腹する直前に恋人の明里と出窓の格子越しに別れを告げた・・・とのエピソードがありますが、現在その出窓は残っていません。現在は私宅の為中に入ることはできませんが週末のみ門の中の玄関と、その横のスペースで関連グッズの販売がされていますので立ち寄ってみてはいかがでしょうか?
新選組御用達の遊宴の街・島原です。新選組局長の芹沢鴨が角屋で大宴会を行い、壬生の八木邸に帰宅後暗殺されるという事件がありました。新選組だけでなく西郷隆盛や久坂玄瑞といった維新志士も利用していたようで、日本の未来を熱く語り合った場所であり、京都の重要文化財に指定された歴史ある建築遺構でもあり、幕末マニアには是非とも回っていただきたいスポットです。
 
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